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1999年度 2021.10.21更新(R2)
目次
概要
2000.3導入分(北陸鉄道)
1999年度導入車の概要
 2000年3月26日、北陸鉄道(株) 南部営業所に大型車の新車が7両、柳橋営業所にpetitの新車が8両導入されました。 この導入分においては、自発光式LEDが行先表示機に初めて採用されました。
 大型車に関しては、それまでの標準尺・長尺の導入が続いていた中、短尺での導入となりました。また、それまでの赤帯をベースとした"温暖前線カラー"から、金色の楕円状が入ったデザインに改められております。
 一方、petitに関しては新たに柳橋営業所へ配置され、卯辰山線や石引線で活躍し始めました。こちらに関しては、従来の赤帯で継続されておりますが、[KK-]規制には富士重車体による架装が無かった為、北鉄グループにおいて初の西日本車体工業による架装となりました。

2000年3月26日導入分
型式写真

↑三菱"エアロスター"(KC-MP747K)
大型車に関しては、新たなデザインが採用。また、ノンステップとして初の短尺ボディとなった。

~Coming Soon(撮れずじまいの可能性あり)~

↑日産ディーゼル"RN"(KK-RN252CSN)
北鉄グループ初の西日本車体工業による架装となった。

~Coming Soon(撮れずじまいの可能性あり)~

新製車配置表
社番シャーシメーカーボディメーカー車種現行配置新製配置登録ナンバー新製後の変化
30-556三菱自動車バス製造三菱自動車バス製造KC-MP747K北陸鉄道 金沢北陸鉄道 南部金沢200か195引退の可能性高い
30-557三菱自動車バス製造三菱自動車バス製造KC-MP747K北陸鉄道 金沢北陸鉄道 南部金沢200か197引退の可能性高い
30-558三菱自動車バス製造三菱自動車バス製造KC-MP747K北陸鉄道 金沢北陸鉄道 南部金沢200か341引退の可能性高い
30-559三菱自動車バス製造三菱自動車バス製造KC-MP747K北鉄金沢バス 中央北陸鉄道 南部金沢200か443引退の可能性高い
30-560三菱自動車バス製造三菱自動車バス製造KC-MP747K北鉄金沢バス 野々市北陸鉄道 南部石川200か31引退の可能性高い
30-561三菱自動車バス製造三菱自動車バス製造KC-MP747K北鉄能登バス 七尾北陸鉄道 南部石川200か32引退の可能性高い
30-562三菱自動車バス製造三菱自動車バス製造KC-MP747K北鉄能登バス 七尾北陸鉄道 南部石川200か33引退の可能性高い
50-563日産ディーゼル工業西日本車体工業KK-RN252CSN北鉄能登バス 羽咋北陸鉄道 柳橋石川200か34引退の可能性高い
50-564日産ディーゼル工業西日本車体工業KK-RN252CSN北鉄能登バス 七尾北陸鉄道 柳橋石川200か35引退の可能性高い
50-565日産ディーゼル工業西日本車体工業KK-RN252CSN北鉄能登バス 七尾北陸鉄道 柳橋石川200か507引退の可能性高い
50-566日産ディーゼル工業西日本車体工業KK-RN252CSN北鉄奥能登バス北陸鉄道 柳橋石川200か37引退済み
50-567日産ディーゼル工業西日本車体工業KK-RN252CSN北鉄奥能登バス北陸鉄道 柳橋石川200か38引退済み
10-568日産ディーゼル工業西日本車体工業KK-RN252CSN北鉄能登バス 七尾北陸鉄道 柳橋石川200か39引退の可能性高い
50-569日産ディーゼル工業西日本車体工業KK-RN252CSN加賀白山バス北陸鉄道 柳橋石川200か40引退の可能性高い
50-570日産ディーゼル工業西日本車体工業KK-RN252CSN北鉄能登バス 七尾北陸鉄道 柳橋石川200か41引退の可能性高い

前年度からの仕様変更点[●:メーカー側による仕様変更 ○:導入事業者側による仕様変更]
<日産ディーゼル>
●平成11年排ガス規制適合に伴い、型式名が[KK-]に変更。
 ・以下の適合時に富士重ボディによる架装が廃止となった為、西日本車体工業による架装に変更。


<三菱>
<共通>項目以外は、前年度導入車の仕様を継続。
●中扉以後の座席配置が見直され、全て前向きに変更。
 ⇒対面式の配置が廃された。
○ボディカラーにおいて、金色の楕円状が入ったデザインを採用。
○降車ブザー音において、初めて速めの2点式電子音を採用。


コメント
 大型車に関しては、初めての"流線形カラー"が採用された世代となりますが、561,562を除く全車が15年以内には新製配置の南部から離れており、金沢地区の様々な営業所へ移籍しております。但し、結果的に金沢地区から離れて移籍したのは、2017年冬の新車導入に伴って能登地区へ移籍した561,562の2両のみでした。
 一方、本来の用途として外れて一定の利用がある卯辰山線や石引線に充当されるようになった"petit"に関しては、定員数の少なさが災いしてか、10年後には全車両が金沢地区から離れており、能登・加賀地区で活躍していたようです。
 また、この世代より行先表示機にLEDが用いられましたが、その背景として石川県立図書館貯蔵の【ほくてつ】1996年3月号の"バス運行部付5課長にインタビュー"の記載内容によれば、以下の発言内容が見られます。

「方向幕についても、現在路線や系統がかなり数が多くなって、乗務員も表示するのが大変だし、中には運転中に操作している人もいて危険極まりない。それがプロの運転士の証だと勘違いしている人もいるが、それは大きな間違いである。
これについては、運賃表示器などに採用しているLEDタイプのものを導入して、少しでも負担を軽減できないものだろうか。」


 全国的に見ても早期的にLED行先表示器が採用されたのは、乗務員の安全性を確保する為にも、このような現場の意見が早くも反映したからなのかもしれません。


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